2012年6月19日火曜日

「好き勝手に生きていく」という正義。―書評 松本哉『貧乏人の逆襲―タダで生きる方法』ちくま文庫



「お金を使えば豊かに暮らせる」は当たり前



常識的には、貧乏な人は、お金持ちの人に比べて、豊かな暮らしができないということになっている。この常識というのは、「お金を使うことが豊かな暮らしにつながる」という考え方だ。これは間違ってはいないが、当たり前すぎるので何もおもしろくない考え方である。

坂口恭平さんの『TOKYO 0円ハウス 0円生活』には、ホームレスの鈴木さんが、お金をあまり使わないで工夫して生きていく様子が活き活きと描かれている。数千万円のローンを組んでマイホームを持たなくても、河川敷の「0円ハウス」でそこそこ快適な暮らしを送ることができることを世に知らしめたという点で、この本の価値はとても大きいと思う。

僕は「お金をたくさん稼いでたくさん使う」という生き方も、「お金はあまり稼がないけど、うまく工夫してお金をなるべく使わない」という生き方も、どちらが良い生き方とは言い切れないと思う。もちろん、お金を稼いで使えば、そのぶん税収が増えたり、企業が儲かったりする。でも、だからといって個人が「稼いで使う」というライフスタイルを選択しなければいけないかというと、全然そんなことはない。

さいきん自己啓発の本がよくベストセラーに並んでいるけど、それらは基本的に仕事の生産性を高めるための方策とか、仕事で悩んだときはこうやって乗り切れ、という本しかない。まったくおもしろくない話である。「上司にバレない仕事のサボり方」とか、「バイトで楽しく暮らすための貧乏生活術」みたいな本がベストセラーに並んでもいいだろう、と思う。

「勝手に生きていく」ための戦略


そこで紹介したいのが、松本哉『貧乏人の逆襲―タダで生きる方法』(ちくま文庫、2011年)である。著者の松本さんは、1974年生まれ。高円寺でリサイクルショップを営んでいる。

本書の冒頭はこんな感じで始まる。

「よ〜し、こうなったら好き勝手に生きてみようか! やい! もう、くだらない奴らの言うことは聞かないで、のびのびと生きてしまおう。我々貧乏人が、ちょっと世にのさばいまくってしまおう! よし! 決めた決めた! 祭だ祭だ! 騒ぎだ騒ぎだ!!」(p.14)


これだけ読むととんでもない本である。引くレベルである。読むの止めようかな...」と思った方、ぜひ思いとどまってください。この本は、「好き勝手生きるためにどうしたらいいか」という人類史上最大の問い対して、極めて具体的な答えを出している。

好き勝手生きる術として、著者は大きく4つの戦略を授けてくれる。

戦略1.金を湯水のごとく使わなくても生活できるようにする。それもしみったれた貧乏自慢みたいなものじゃなく、いざというときでも何とかなるような生活術を身に着ける


「ボロアパート研究」、「必殺! 野宿作戦」、「知らないパーティーに潜り込め」など超具体的な戦術が載っています。なかでも爆笑なのが「ヒッチハイク講座」だ。「ヒッチハイクは別に人に甘えているのではなく、『行き先が同じ→空席がある→俺は歩き→座らせろ』という、この理屈の正しさを頭に叩きこんで挑もう!」と書いてある。これはすごいけど、間違ってない。

戦略2.街ぐるみ、地域ぐるみでのびのびやっていければ、助けあいなんかもできてより楽になる


言わずと知れたソーシャル・キャピタルである。ここでは「商店街作戦」、「町内会作戦」、「回覧板作戦」などが紹介されている。「いくら三越やドン・キホーテの常連になってもいざというときには役に立たないが、自営業軍団と仲良くしておけば絶対にいいことがある」というのは納得だ。飢えた時には、肉屋や八百屋から食べ物をもらったりできるかもしれないのである。

僕がいちばん感動したのは、「イカサマパトロール追放作戦」である。著者は、多くの商店街のパトロールを、「不審者を見つけて警察に通報するだけのパトロールなら、単なる警察の手下で、『自治』の風上にも置けない集団だ。本来は自分らの街を守るという『自治』の意味のパトロールだから、自分達で問題を解決しなきゃいけない」と批判する。めちゃくちゃ正しい。松本さんは「自治の理想」として、パトロールがコソ泥を発見したときの例を出している。

パト「何でこんなことやったんだ。福島のおふくろさんが泣いているぞ」
ドロ「へぇ、会社が倒産したあげく、実家が火事で焼けまして、おまけにせがれは車で子どもを轢いちまい、借金まみれに……。プロミスの追っ手を振り切り、何とか東京にたどり着いたところで手持ちの金もなくなり……」
パト「しょうがねぇ。じゃあしばらく、うちの材木屋で木でも切ってほとぼりをさましない(原文ママ)。そのかわりもうこんなことすんじゃねえぞドロ「この恩は一生忘れません」(p.106)

いやぁ最高でしょ。

戦略3.仕事や遊びを自前で用意してストレスや浪費を減らす


お金のために訳の分からない奴に雇われてしまっては、楽しく生きられない。そうであれば自分で事業をはじめるしかない。それが著者のスタンスだ。著者は、シャッター街になっていた高円寺の商店街の物件を月5万円で3ヶ月借りた。友人と2人で借りたので開業資金は2万5千円。安い! 僕が仲間と立川でやっているイベントもそうだけど、「頑張っている若いもんを応援だ!」とか言って、格安で物件を貸してもらえることがあるのだ。どんな感じで商売をしているかが本のなかに書いてあるが、こんなんで商売が続けられるのか!と驚くほどのユルさ。これは楽しいこと間違いない。(ただし儲からない)

著者は仕事だけじゃなくて遊び場も自分たちでつくれ、と説く。

「とにかく地域のいろんな奴がなんかやれるようなスペースがあったら相当楽しい。やりたいけど場所がなかったような連中はここぞとばかりにいろいろやりだすし、そういうことに興味なかった奴らもなんかやるキッカケになるかもしれない。それに、いろんなイベントが行われいたら、まったく違う分野のものと接する機会ができるので、今まで縁のなかったことに目覚めてしまったりするかもしれない。当然、知り合いも増えまくるので、笑えるイベントやアホな出来事などの情報がやたら舞い込んでいくるようになる。」

これも文句なく正しい。最近自治体が空き店舗にこういうパブリックスペースをつくろうとしてますが、行政のプロデュースでおもしろくなるはずがないわけですよ。こういう自発的な動きが必要ですよねぇ。

戦略4.こんな生き方の妨害になるようなものが出てきたり、何か抑圧されたときに「冗談じゃねぇ」と抵抗する術を身につける


最後は「反乱のススメ」。反乱といっても「ひたすら街に打って出て遊ぶ」というもの。駅前で勝手に騒いだり、デモや選挙を使ったりする。著者がこれまでやってきた波乱はどれも爆笑ものだ。

たとえば大学の頃にやった「ボッタクリ学食粉砕闘争」。値段が高いわりにたいしてうまくもなく量まで少ない学食を懲らしめるため、学食突入集会を実施。こたつに担ぎ棒をつけた「こたつ神輿」大バカな奴らを載せて、200〜300人で学食に乱入。さらに昼休みの学食前で100円カレーを売りまくるという闘いもやったらしい。実家が農家の学生から米や野菜をもらい、徹夜でカレーを作って400食を売り上げ、学食は大打撃。

大学を卒業してから反乱はどんどん大規模に。駅前でバカ騒ぎをしたかった著者は、選挙のときに候補者が駅前で大声で演説を行なっていることに目をつけ、「これって立候補すればできるんじゃないか…」と思い、杉並区議会選挙に立候補する。「駅前にバカ騒ぎの解放区を作って、いまの世の中の無意味な秩序がどれだけアホらしいものかを知らしめてやろう」(p.175)というのが目的で選挙に出ても、合法なのである。

選挙期間中の一週間は、でかいスピーカーを何個も積み込んだ選挙カーで「鼓膜を破るくらいの大音量」で高円寺駅前をライブ会場にしていたらしい。音楽の合間は「貧乏人がのさばったら毎日こういうことをやってやる!」「こんな窮屈な世の中でおとなしくしてると思ったら大間違いだ! 役立たずの恐ろしさを見せてやる」と街頭演説をしたそうだ。

最高なのは、選挙カーがすれ違う際に「○○候補の健闘をお祈りします」というのが慣例になっているのだが、こう呼びかけられた著者は「俺は○○候補の健闘は祈っていません。自民党はさっさと落選しろ!!」と返したそうだ。選挙は民主的な戦争なのだから、これがあるべき姿なのである。

「勝手に生きていく」という正義



松本さんのスタンスは、「好きなことをやる→困ったことが起きる→もめる→何とかなる(何とかする)」というもの。多くの人が「社会のために苦労して頑張る→世の中が栄える→そのおこぼれを頂戴する」という人生を送っていることをボロカスに批判している。


僕が松本さんに強い好感を持っているのは、彼が「勝手に生きる」ために、「自治」や「自立」が必要だと考えている点である。政府や会社の上司に説教くさいことを言われないためには、自分でお店を立ち上げたり、商店街の人と協力したりすればいいのだ。

数年前に格差社会論が話題になったとき、議論の焦点となったのは「福祉」だった。貧しい状況に陥った人を社会でどう支援するかという話だった。『貧乏人の逆襲』は福祉とは違うアプローチをしている。松本さんはこんなことを書いている。

「本当に働けない人は生活保護など行政に頼るという手段もあるのだが、その場合、国が傾いた瞬間に餓死しかねないのであまり信用できない。首相などが『もう払えねぇ! どう叩いても出ねぇよ!! 煮るなり焼くなり好きにしろい!』とか言って机の上にあぐらをかいて開き直り出したら大変だ。それに、この本では『なるべく勝手に生きていく』ということをテーマにしたいので、ここはひとつ『貧乏人が束になったら何とか生きていけたりするのではないか?』という作戦を練っていきたい」(p.97)

要は政府を信用していないのである。生活保護をもらうときに、行政職員にいろいろいじめられたという話を聞くが、生活費を国家からもらうということはそういういじめにも遭いかねないということだ。国家が困った国民にニコニコ金をくれると思っていたら大間違いだ。

僕は小さい頃から母に、「日本がもう一回焼け野原になってもヤミ市で商売したりしながら、生き残れるような子になってね」と言われてきた(変な親だ)。松本さんは必ず生き残れるタイプだと思う。世界経済が崩壊したり、国家が財政破綻するかもしれないという状況において、日本に必要なのはグローバル人材なのか。グローバル人材を育てても、日本が破綻したら外国に逃げるだけじゃないのか。松本さんのようなサバイバル人材が危機の日本で何かを起こしてくれるんじゃないかと思う。

「好き勝手に生きていく」ということは、政府にも会社にも頼らずに生きていくということである。それは簡単なことじゃない。経済的に自立し、コミュニティで自治をつくり、自分のポリシーに従って生きていくということだ。

僕は、松本さんの「好き勝手に生きる」というポリシーは、ひとつの正義観のあらわれだと思っている。これは常に政府や社会に対してファイティングポーズをとっていくということだと思う。自分のことは自分で決めることができれば、自分が正しいと思ったことをやれるようになる。政府に頼ったり、会社に付いて行ったりすれば、自分の価値判断ができなくなる。闘い続けることは大変だけど、ファイティングポーズをとってはじめて見えてくる世界もある。この本は、もうひとつの世界の可能性を見せてくれる本なのである。

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